母が亡くなる前日のこと

14、15日で母の通夜、葬儀を終えました。

遺骨が実家に帰ってきて、一段落したところです。年金の届けや、すぐ来月やってくる四十九日までの準備でまだまだ気が抜けないのですが、今は、母を亡くした悲しみと、母の痛みに苦しむ姿を見なくて済む安堵の気持ちが入り交じっています。

本当に、こんなに急に逝ってしまうなんて、全く思っていませんでした。母の亡くなる前日のことから、思い出しながら書こうと思います。

8月10日、大学病院の泌尿器科の予約が入っていたのでタクシーで私が付き添って行きました。それまでは自分で歩いてタクシーに乗れていたのに、その日は全く歩けず、車いすに乗せてから、タクシーに乗せなければなりませんでした。

看護師さんに、まず尿道カテーテルの交換をして貰いました。

診察で、泌尿器科医の先生は、前回診た時(7/7)から急激に悪化している、全く自分で尿が出せなくなっていると。国立がんセンターで脊髄にがんが転移している可能性があると言われましたと伝えると、自分もそう思うので、腰回りのMRIを撮ろうと思うとのこと。外科は何て言っているんですかと聞かれたので、抗がん剤は止めて、緩和医療クリニックに転院することにしましたと伝えると、どちらにしても、尿道カテーテルを付けっぱなしにしておくしかないので、このままで行きましょうということになりました。カテーテルと袋の交換は1月に1度でいいとのことで、緩和医療の医師か、訪問看護師さんに頼んでやってもらうことにしました。

帰りのタクシーの中で、母は、

今はこのおしっこの管と袋が付いてるけど、治ったら取れるんでしょ?と言いました。

私は、え?っと思いましたが、もちろん治ったら取れるよと答えました。

母はずっと病気が治るつもりでいました。

母と私が交わしたまともな会話は、今考えるとこれが最後の会話だったかもしれません。

この日から、食べることも急に出来なくなっていました。朝は栄養補助ドリンクのテルミールを少し飲んだだけ、お昼はバニラアイスを二口とテルミールを少し口に入れただけでした。

ちょうど訪問看護師さんが来る日だったので、水分不足にならないように気を付けてと言われました。母は頑張って水を飲む努力をしていました。

私は、次は14日の緩和医療クリニックの予約が入っている日に来るよと母に言ってバイバイと手を振って実家を出ました。生前の母に会ったのはこれが最後でした。